全国からバッシングされている俳優の幼馴染みを自分のことがあまり好きじゃない僕が訪ねる話

 自分のことが好きじゃない。どちらかというと嫌いだ。

 といっても憎んでるとか殺したいとか、そこまで強い感情じゃない。ただなんとなく好きじゃない。なんとなく恥ずかしい。そう思い出したのはいつのころからか。

 たぶん二人の姉の存在が関係している。

 一つ違いと三つ違いの姉はどちらも気が強く、寄ってたかって大人しい弟につらく当たった。イジメたという意識は当人たちにはなかったかもしれないが、なにをしてもダサい気持ち悪いと散々言われながら育てばその刷り込みはかなり強烈だ。

 なんとなくダメだ。なんとなく薄っぺらい。なんとなく間違っている。ずっとそう思って生きてきた。

 こんなふうに暗い自分もまた嫌いだったから、ひとにはそれを知られないようにした。ひたすら明るく、まるで自分のことが好きなように大きな声で話して笑った。不思議なもので、そうしてみると本当に自分がそういう人間かのように思えてくる。けれどそれは幻だとふとした拍子に思い知るから、自分とは真逆のひとに憧れた。自信があって堂々として芯のある――。

 

 西麻布の駅から歩くこと数分、とあるマンションの前で足を止めた。首を倒して見上げれば、灰色の秋空にタワー型マンションが突き刺さるがごとく聳えている。エントランスは透明な膜に覆われているようなガラス張りの空間で、インターフォンを三度鳴らし、それでも応答がないのでスマホを取りだして電話すると、数コールしてやっと応答があった。

「んだよ」

 寝起きなのか寝ていなかったのか不摂生を感じさせる煤けた声。

 その低音を振りきるように僕は明るい声をだした。

「ひきこもってる幼馴染みに差し入れ持ってきましたあ!」

「いらねーから。じゃ」

「待て待てちょっと待て。本当にいいのか。バームクーヘンだぞ、やっくん好きだろ?」

 わざわざ日本橋まで行って買ってきた洋菓子屋の名前を告げると電話は切れ、目の前の自動ドアがするすると左右にスライドして膜が裂けた。

 やっくんは芸能人だ。

 高校生のころから有名ファッション誌の専属モデルとして活躍し、卒業すると同時に俳優デビューを果たした。初めて出たドラマのちょい役の演技は素人の僕からしても酷いものだったけれど、すこしずつ上達し最近ではドラマの重要なキャラクターを演じることも多くなってきていた。売り出し中の若手俳優。そして、数日前に週刊誌がすっぱ抜いた三股騒動・不倫疑惑により日本全国のワイドショーおよびお茶の間から総叩きにあっている憎むべき色狂いの無責任男であり、僕の小学校時代からの幼馴染みでもある。

 玄関のチャイムを押すとドアが開いてチェーンがかかったままの隙間から大きな瞳が睨みつけてきた。きょろきょろと僕の背後を覗きこもうとする。

「誰もいないよ。下にもいなかった。まだここはバレてないみたい」

 やっくんは露骨にほっとした顔をしてドアを閉めた。チェーンが外れる音がしたがそのまま開かないので自分でドアノブを引っぱると、萎れた背中が奥のリビングへ引っ込んでいくところだった。

 灰色のスウェットの上下。数日前しつこい報道陣から逃げるために自宅からここに移動してきたときと変わらない恰好。移動するったってホテルの従業員だって信用できねーと騒いで所属する事務所の誰かの家を借りたのだ。

 気持ちはわからないでもない。日本を賑わす話題にたまたま事欠いていたからか、テレビは連日やっくんの話題で持ちきりだ。あまつさえ三股をかけていたうちのひとりの女が週刊誌にあることないこと喋り、やっくんをただの女好きのクズに仕立て上げた。

 もはややっくんを好きだというひとなんてこの国には誰もいないように思える。去年は抱かれたい芸能人のランキング入りをするくらいだったというのに。

 物が散乱しているダイニングテーブルに手土産に持ってきたバームクーヘンを置くと、やっくんは無言で紙袋を漁って四角い箱を取りだした。なかのビニールを破き二十センチ弱あるワンホールのそれを取りだして齧りつく。小皿もフォークも使わずに。僕ならせめて手が汚れないようにビニールを半分かけたまま持つけど、やっくんはそういうことを気にしない。

「その姿、ファンが見たら泣くね」

「もういねーし」

「そうかな。やっくんのお母さんとか」

「バカにしてんのか?」

「まさか」

 もちろんバカになんかしていない。どちらかといえばやっくんのこのガサツさが僕は好きだ。

 思えばやっくんが芸能人として築きあげてきた清潔感あふれる好青年のイメージは、実際とは対極のものだった。小学生のころから誰が見ても口にせずにはいられないくらい顔の整っていたやっくんは、ケンカっ早くて気が強くて服に泥がつこうが穴があこうが気にしないくらい活動的な子だった。

 なにをするにも自信のない僕が、ひとに嫌われたり怒られたりすることに怯えてうじうじ悩んでいるときにハッキリ言った。

「バッカじゃねーの。嫌いになるやつなんか勝手にならせておきゃいいじゃん。怒られたら怒られたで堂々としてりゃいいんだよ。ねちねち言ってくるバカなんて相手にすんな」

 黙っていればただの顔のいい子だったのだろうけれど、口が悪くて傲慢で謙遜なんてまったくしなかったから男子からのやっかみや嫌がらせもそれなりにあったと思う。女子に告白されれば酷い言葉でふってクラスの女子全員を敵に回したこともある。でもやっくんは自分が正しいと思ったことは貫き通したし、間違っていることに対しては自分を曲げなかった。

「自分が嫌いだなって思うことある?」

 と昔、性懲りもなくめげていた僕が尋ねたことがある。

「たまにやっちまったって思うときはあるけど、それは直せばいいだけだろ。嫌いになんかなんねーよ。なにおまえ自分のこと嫌いなの? じゃあ俺が好きになってやろっか」

 日焼けした肌に白い歯を見せて潑剌と笑うやっくんは、それ以来僕のヒーローになった。

「テレビ観たか?」

 顔が整っていることなど意味をなさないくらい汚くバームクーヘンに齧りつきながらヒーローが尋ねる。

「ワイドショーなら観てない。どうせ同じことしか言ってないし」

「事務所の連中も新しいネタがないから同じことを繰り返してるだけだって言ってた。それで、俺は近いうちに記者会見をするべきだってさ」

「記者会見? なに話すわけ?」

「ぐだぐだ喋らすに男らしく謝れって。頭下げて謝ってこれから真面目にやりますって言やいいらしい」

「謝るって三股したことと不倫したこと?」

「それを日本全国のやつらに謝ってどうするのか全然わからねーけどな。でもとにかくそれと、あとお騒がせしてすみませんって言えって。お騒がせって勝手に騒ぎたてたのはあの週刊誌だろ。だいたい俺はさ、たしかに三股してたけど、みんなそれでいいって言ってたんだ。隠してたわけでもないし。不倫はまぁ……、結婚してたのは知らなかったけど」

「むしろそれを言えばいいじゃん」

「俺もそう思ったけど社長が言うには、誰もそんなことを聞きたいんじゃないらしい。謝ってみんなの怒りをスッキリ収めるのが大事だって。みんなの怒り、なんだよそれって思わねー?」

「みんなの怒り。回避不可。食らうと精神的ダメージが酷くてマジックポイントがゼロになっちゃう、みたいな?」

「やっぱりバカにしてんだろ」

 口にした冗談は我ながら上手くなく、両手でおにぎりみたいにバームクーヘンを掴んだやっくんが目を細めて僕を睨みつけた。口のまわりに粉がいっぱいついている。数日間同じ服を着て髪もボサボサで甘いものに齧りついている姿は、それでも悔しいくらい男前だ。僕が同じことをしたら腐臭が漂いそうだけど、やっくんからは野生の香りがする。最初から爽やか路線なんかじゃなくてスパイシー路線で売ればよかったんだ。そうすればあいつなら仕方ない的な報道のされ方をしたかもしれない。

「バカにしてんのはやっくんのことをここぞとばかりに責め立ててるやつらだよ。どういう欲求なんだろうね、個人的なことを公に責め立てて謝らせようとするのって。だいたい芸能人って公人っていうけど、公人って聖人じゃなきゃいけないわけ? だったらやっくんに芸能人は無理だよ。全然清く正しくないもん。自信過剰で我が儘で言い出したら聞かないし、しかも直情型。一般的に悪いと思われていることも自分が正しいと思えば躊躇しない」

 やっくんはぱちぱちと瞬きをして、次の瞬間顔を赤くした。持っていたバームクーヘンを頭の上に掲げて――

「だから海外に行こう!」

 それが顔に飛んでくるより早く僕は叫んだ。

 今にも投げ落とそうとしていた手が止まり、やっくんの頭に粉がぱらぱら落ちる。

「海外?」

「そう。実は昨日、転職エージェントに問い合わせたんだ。海外でできる仕事ないですかって。そうしたらニュージーランドに求人があって。やっくんのことを考えたらそりゃあハリウッドとかの方がいいかもしれないけど、すぐにそっちで働くのは難しそうだからさ。とりあえずニュージーランド、どう?」

「どうって……。なんだよそれ。それに俺、高卒だし英語なんか」

「やっくんは働かなくていいよ。僕が働くから。なんでも顧客が日系企業ばかりだから英語はイマイチでもいいっていうところがあって、営業職だから向いてるかわからないけど試してみようかなって。やっくんはとりあえず一緒に行ってのんびりして、次の手を考えればいい」

「次の手?」

「あっちでモデルとか俳優してもいいし。だって自分が悪いことしたって思ってないんだろ、それなのに謝ることない。謝ったところでこれからずっとこの件で後ろ指さされて生きていくわけ? 海外だったら誰の目を憚ることもなく顔をあげて好きに生活ができるだろ」

「そんなの逃げるだけじゃねーか」

「一時的撤退は悪いことじゃない。このまま謝って俯いて歯食いしばって地道に頑張っていつか認めてもらおうっていうのもありだとは思うよ。でも本当に認めてもらいたいの? 今やっくんのことをコキ下ろしている連中に。ちょっとしたことでやっくんの全人格全人生を否定するようなやつらにさ。そんなのクソくらえじゃない? このまえテレビで小学校のときの卒業文集の内容までバラされてたよ。将来女の子にモテてハーレムを作りたいってやつ。うかつなこと書いたよね。でもそれをあげつらって子供のころから女にだらしなくて云々なんてコメントするやつらもどーなわけ!?」

「おいちょっと落ち着け」

「な、行こう!」

 僕は鞄からニュージーランド移住に関する本を数冊出した。勢いよく置いたためテーブルの上に出しっぱなしだった皿や紙くずが一瞬浮いて音をたてる。先ほど本屋で買ってきたやつだ。中身はまだ読んでいないけれど。

 やっくんは羊の写真が表紙の本を見つめた。とりあえずというように握っていたバームクーヘンの食べ残しを紙袋に戻し、手を叩いて粉を落とす。それからふうっと息を吐いて僕を見つめた。

「おまえさ、なんかあった?」

「毎日毎日いたるところでやっくんの悪口を耳にしてる」

「俺のことじゃなくて。なんかあっただろ。だいたい転職って今の会社はどうすんだよ?」

「今の会社は辞める」と格好良く言ったがやっぱり嘘はよくないだろうと思い、ちょっとだけ付け加えた。「というかその前にクビになりそう」

「はああ?」

 それみたことかとやっくんがこれ見よがしのため息をついた。

 ダイニングテーブルの椅子を引いて座り、長い脚を組んで再び息を吐く。僕が黙っていると「ちゃんと話せ」と低い声で言った。

 僕が勤めているのは小さな広告代理店だ。好きで選んだ仕事だったけれど、どうにも体育会系な社風が肌に合わなかった。最初はそれでも明るく振るまって上手くやっていた。けれど毎日毎日、疲れ果ててもその振りを続けるのには無理があった。メッキが剥げるように本来の自信のない自分がでてくる。業界には珍しく女ばかりの職場だったというのも理由のひとつかもしれない。きつい口調を聞いていると姉のことを思い出して、どうにも消極的になってしまう。結果、上司にはあまり好かれず同僚とも上手くいっているとは言い難く、自分でも浮いているとは思ってたのだ。だからといって数ヶ月間仕事をくれないのもどうかと思う。それも皆が血眼になって働いているときに。タダ飯食い。窓際族。そんな言葉が頭のなかをグルグル駆けまわり、挙げ句の果てに新しく配属されて事情を知らない上司にプロジェクトを任されて、頼れる先輩も同僚もおらず経験もない僕は見事にコケた。

「よく知らねーけど、仕事もらえなかったのとかどっかに訴えれば勝てるんじゃねーの」

 やっくんがぼそりと言った。もしかしたらそうかもしれない。

「でももし入社したのがやっくんだったら、たぶん上手くやれてたと思うんだよね」

「俺?」

「そう。僕が馴染めなかっただけだ」

「だから自分が悪いとか言うなよ?」

「悪いとは思ってない。でも誰かを恨んだりしてるわけじゃないし、やっぱダメだったんだなって。こういうことよくあるから。ダメならダメで仕方がないっていうか、やっていけそうなところを別に探すしかない。やり直すしかないんだ。もちろん反省するところは反省して次はもっと上手くやろうとは考えるけど。ダメだったひとつのところに必死にしがみついて、そこがダメだったら終わりって、そうはならないと思う。終わりにするくらいなら別の可能性にかけてみたいっていうか……」

 終わりというのは実はやっくんについて心配していたことだった。こんなに日本全国からバッシングを受け続けていたら首でも吊ってしまうんではないかと。首を吊ったところで、それはまた新しいネタとして消費されるだけなのに。

 これまで僕はじんわり染みわたるようなイジメ、というほどでもない意地悪や嫌がらせは何度も受けたことがある。そのたびに終わりにしていたら僕は何度も死んでいる。死んだところで僕の場合はネタにもならないで終わっただろう。

 やっくんは腕を組んでしばらく黙っていた。それから立ち上がり、台所に行ってシンクで手を洗った。「おまえも食べる?」と尋ねて、僕の返事を待たずに小皿二枚にフォークと切り分け用のナイフを持ってきた。

 箱のなかのバームクーヘンを覗いてみると、きれいな円だったはずが虫食いのように囓られて、両手で掴まれたところが指のあとを残していて歪な形になっている。

 やっくんが先ほどまでと別人のように、その歪なバームクーヘンを丁寧に切り分ける。細く長い指は本来こういうふうに動くべきだったのだと思える優雅さを供えている。

 気を遣ってくれたのか、囓った歯型と指のあとがついていない部分を扇型に切り取って小皿に取り、僕の前に差し出してくれた。そして自分のぶんを優雅に食べ出したので僕もなんとなくつられて食べる。ふわふわして甘くて優しい。

 やっくんはフォークを使って無造作に切り取るが僕は外側の皮から1枚1枚剥がしながら食べる。数年来変わらぬお互いの食べ方だ。

「外国行ったって上手くやれるかわからねーし、むしろリスク高くねーか?」

 先ほどよりよほど味わって食べているのか、ほんわりした顔のやっくんがフォークを口にくわえたまま尋ねる。

 前向きに考えてくれているのが嬉しくなって僕は身を乗り出した。

「うん。上手く行かないかもね。僕なんかが本当にそんなことできるのかわからないし。まぁでもほら、やっくん貯金あるでしょ? 当面はそれをあてにしてるから」

「なんだおまえ、俺の金が目当てか」

「そこは持ちつ持たれつ」

 僕が笑うとやっくんも笑った。酷い恰好をしているけれど、ファッション誌の表紙を飾ったときよりもいい笑顔に見えた。

 マンションを出ると僕はさっそくスマホを取りだした。転職エージェントに面接の段取りをつけてもらうのだ。海外に行くなんて言ったが、まだ面接すら受けておらず採用してもらえるかどうかもわからない。

 つまるところ行き当たりばったりなのだ。明確な人生設計など何ひとつない。適当だ。本当に自分にそんなことができるのだろうか。今更ながら不安になってくる。ニュージーランドどころか海外に行ったことすらなく、英語だって学校の成績はそんなによくなかった。仕事で使わないとはいえ日常生活はどうするんだ。生きていけるのか、こんな僕が。

 逡巡していると突然スマホが震え、危うく落としそうになりながらそれに出る。

「あのさ、俺やっぱり記者会見するわ。で、事実をありのまま伝えて世間をお騒がせしたことは謝るわ。あのニュースで嫌な思いしたひともいるかもしれねぇし」

「なんでそんなこと……」

「だからさっきの話ちょっと預けてくれねーかな。おまえの言うとおり、ひとつのところでダメだったからってそれですべて終わりじゃねーとは思う。でも俺まだここで完全にダメにもなってない気がするんだよ。だからもうちょい試してみたい。おまえだってまだ会社クビになったわけじゃないんだろ? もうすこし食いついてやってみろよ。それで俺かおまえかどっちかが、こりゃいよいよダメだって思ったら羊追いに行こうぜ。羊とか世話すんの俺けっこう向いてる気もするし」

「ニュージーランドに行くからって必ずしも羊を追う必要はないと思うけど。僕はサラリーマンとして転職するつもりだし」

「バカ、どうせ行くなら羊追うだろ?」

「そうかな?」

「そうだろ?」

 もしかしたら僕とやっくんが手がける羊ビジネスが大成功して、それがきっかけで億万長者になるかもしれない。追っていた羊がある日思い出したように地面を引っ搔いて、ここ掘れメーメーみたいなことに……、はならないだろうけど。でも人生なにがあるかわからない。

「わかった」僕が答えると、やっくんは「それからな」と言葉を繋ぎ、ちょっと間を空けた。

「おまえのダメダメだけど他人のことに関しては妙に前向きで行動力があるとこ嫌いじゃねーよ。明るいのか暗いのかよくわからねーけど、嫌いじゃねーっていうか好きだわ。だから自信持て」

「なんの自信?」

「天下のイケメン俳優に好かれてる自信」

「ああ、今お茶の間を騒がせてる好感度が絶対零度に下がった俳優にか」

「そのうち抱かれたい男ナンバーワンになってやるよ」

 僕が吹き出すと、やっくんも笑っているのが伝わってきた。

 羊は逃げない。可能性はずっとそこにある。

 だから僕もすこし粘ってみる。すくなくとも僕にはボロボロになったバームクーヘンをきれいに取り分けてくれる友人がいて、自分のなかにないはずの芯を感じることができるのだ。